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まほろばの国から

まほろばの国から

入院から退院まで

乳がん 入院から退院まで

     4月17日(火)入院
10時に入院手続き。6人部屋の真中のベッド。午後、婦長から入院の説明、抗生剤のテスト。病室に様子を見に来た主治医から「主婦はなかなか休めないんだからこういう機会にのんびりしていけばいいよ」と声をかけられた。
夕方エコーを丁寧に撮った。「まほろばさんのは割りと性質のよさそうな癌だよ。前回の骨シンチも胸部レントゲンも異常なしだったからね」と言われ少し安心した。「主婦は夜9時になんて寝られないよー」と言うと「カーテンしてベッドランプにすれば別に構わないよ」と言うことだったので「ガチンコ」を見て寝た。バリバリ伝説の初回だった。

     4月18日(水)
薬剤師からこれから内服する薬の説明があった。同室の人と談笑しているところへ主治医が現れ「元気そうだね」と肩を一揉み。
同病の人にいろいろ話を聞き、少しリラックスできた気がする。大部屋でよかったと思う。
夜、主治医が手術する部位に印をつけに来た。(たぶん、この日)

     4月19日(木)手術
手術着に着替え、点滴をし、歩いて手術室へ。手術台は狭いから落ちないようにねと同室の人から言われたので、慎重に手術台に上がる。予定通り9時から始まった。終わったのは13時30分くらいだそうだ。術後、主治医から夫に手術の説明があった。
私は記憶していないのだけれど、回復室に戻って夫と面会した私はぼろぼろと涙し、夫はなんと声をかけていいのかわからなかったそうで、ナースからは時々あることと言われ、そのまま帰ったそうだ。
私の記憶では16時頃目が覚め、主治医がいいタイミングで来て、手術は予定通り済んだよと言い、術側の腕をぐっと上げられ、これからリハビリをちゃんとするように言われた。暑くて酸素マスクもずれていたのではずしてくれ、掛け布団をタオルに変えてもらったことを覚えている。

     4月20日(金)術後1日目
朝、導尿管を抜いてもらい、朝食は普通食をベッドで食べた。ちょうど主治医が採血に来ていて、サイドテーブルなどの世話をしてくれ、うれしかった。傷の治りの良くする漢方薬、痛み止めを内服。
15時になってやっと病室に戻った。同じ部屋のにぎやかな人たちと一緒でよかった。

     4月21日(土)術後2日目
朝、診察を受け、シャワーOKの指示が出た。
診察のとき、初めて自分の傷を見てどきっ!!そしてシャワーの時、鏡で自分の体を見て、ショックを受けた。これが私の体??と言う感じだった。「現実は現実として受け止め、そこから新たな一歩を・・」と病院からもらった小冊子に書いてあったけれど、胸筋温存でこんなにこんなにごそっと取られるなんて思わなくて、ショックです。とても人には見せられないな。ほんとショックでした。
でも術後2日でシャワーが使えて、シャンプーもでき、体はすっきり。
ストレッチは朝昼晩一生懸命やっている。腕だけは元に戻して不便のない生活をしたいから、がんばっている。
友達二人がお見舞いに来てくれ、意外に元気な私の様子に拍子抜けしたようだったが、1時間ほど話して帰っていった。その後、夫と子どもたちが来て、それぞれ自分の学校のことなどを報告してくれ、聞いてあげられる事をうれしく思った。

     4月22日(日)術後3日目
日曜日なのに診察があった。「傷口はきれいで大丈夫だよ」の主治医の言葉に安心する。Drは休みなしなの?とナースに聞いたら担当の患者さんがいるときは毎日来るとの返事。診てもらう方にすれば、毎日診てもらえて安心だと思うが、Drも大変ね。
シャワー2日目。昨日鏡で見た時はショックだったけれど、今日はなんとなくあーこういうもんだなって受けいられる気分になってきた。シャワーの後の消毒のときナースにそう言うと「そういう点は女の人って強いよね~」と言ってくれたので、うれしかった。
夜、A乳腺外科医の回診があった。

     4月23日(月)術後4日目
朝、診察。同じ病気でTさん、kさんが入院してきた。話しやすい人でよかった。二人とも明日手術です。

     4月24日(火)術後5日目
朝の診察の時、病理検査の結果が出て、リンパ節転移が1個あって、ホルモンの反応がいいのでホルモン療法になると言う。ホルモン注射か卵巣切除になったらどちらにするか入院前に考えておくように言われていたので、卵巣切除でお願いする。
GWにはいるので5月1日か2日に手術できればそのまま入院、GW後なら28日くらいに退院できそう。26日午後に夫と話を聞きに来てほしいということだけれど、夫の休みが取れるかどうかというと28日でもいいということになった。

     4月25日(水)術後6日目
大胸筋の方のポーティナーが取れた。卵巣の手術が5月2日に決まったのでそのまま入院することになった。退院は6日の予定。29,30日は家に帰ってもいいと言うので外泊することにした。
夜の検温のとき、私の担当ナースが来てくれ、肩が凝っていたので温湿布を貼ってもらった。「卵巣の手術が2日になったんだってね」と言われた途端、涙がぽろぽろ出てしまった。今までの張り詰めた気持ちが切れ、手の上がり具合と卵巣手術後の更年期障害にすごい不安があって、泣けてしまった。入院が6日までになり、まだあと11日もあるということにも疲れを感じていた。
3食昼寝つきの生活にも飽きてきたし、やっぱり健康って大事だと思う。今夜は眠剤をもらったので、それを飲んで寝よう。

     4月26日(木)術後7日目
主治医から病理検査の結果、今後の治療方針の話があり、夫と共に聞いた。

腫瘍2.8cm×2.8cm 浸潤性乳管癌(粘液癌) リンパ節への転移 1/24
エストロゲン受容体 陽性

術後の補助療法 (1)ホルモン療法・・卵巣切除+タモキシフェン5年間
           (2)化学療法・・CMF療法 6クール

術後1ヶ月くらいから開始。体調を崩し、投薬を変更すると効果が減るので、体調管理に気をつけるように注意あり。
副作用は脱毛(でもかつらが必要になるほどではない)、抵抗力の低下、吐き気と説明があった。
体脂肪も乳癌を増殖させるので、これ以上太らないように注意があった。
腹腔鏡下両側卵巣摘出手術は5月2日9時30分から。6日に退院予定。

婦長も説明に立ち会った。主治医を待つ間にZさんが退院したらそこへベッドを移してほしいとお願いした。そこは南側の窓のそばで明るくて広い。
エストロゲンが陽性と聞き、ホルモン治療だけで抗がん剤はやらなくてもいいんだと内心ほっとした。でもそうではなく、両方やると言う。思わず「え~っ、化学療法もやるの~?」と声を上げてしまった。
これから再発予防の長い長い道のりが待っていた。手術が到達点でなく、最初の通過点なんだと改めて思っている。でも、がんばるしかない!!
昨夜は温湿布を貼って寝たので、肩こりも頭痛も治って、気分は少しよくなってきた。ただ、同室のBさんがレントゲン結果が悪くて落ち込んでいるので、私までテンションが低くなりがち。長い入院は辛いんだな~と思う。ふと、次女(足の骨折で入院)は2ヶ月もよくがんばって入院していたなと改めて感心する。
長女から修学旅行のお土産をもらった。地主神社の健康守りがすごくうれしかった。

     4月27日(金)術後8日目
朝の診察。29、30日はポーティナー着けたまま外泊OKという。
私「ポーティナーが取れたら1日の参観会に行きたいと思っているんだけれど・・・」
Dr「それまでには取ってあげるよ」
私「でも体液が溜まったら困るじゃん」
Dr「そんなの後で抜けばいいじゃん」
こういう会話がぽんぽんできるので、主治医と話していて楽しい。説明もわかりやすく、ここにして良かったと思う。
夜、ADrの回診。腕が固まってくると肩も凝ってくるので、ストレッチのつもりで腕の運動をすればいいよと言っていた。腕の上がりにはOKサインが出た。

     4月28日(土)術後9日目
腋下のポーティナーも抜いてくれた。2日の手術まで用がないので外泊は2泊することにした。脇の下がぼこっとした感じなので聞くと、全然異常じゃないし、まったく右と同じ状態には戻らないので、心配いらないとのこと。体液が溜まっても、少々では気にすることないよ。これからは月、金の外来でしか診られないのだから、大丈夫とのこと。
Zさんが退院したので、そこへベッドを移してもらった。窓側なので明るくて、ホント過ごしやすくてうれしい。婦長にお願いしておいて良かった。こういうのは言ったもん勝ち?遠慮していては損ってことを勉強した?

     4月29日(日)術後10日目・外泊
診察時、溜まった体液を注射器で抜いた。針を刺すといたいと思ったけれど、全然痛くない。まだ神経が麻痺しているので痛くないそうで、感覚が戻るのに5年くらいかかると言われた。
乳癌の手術だけなら今日が退院の日。主治医は手術が先になってしまい申し訳ないと謝ってくれたけれど、私はまた入院してくるよりいいし、GW最終日には退院できるから助かると答えた。
「外泊から慌てて帰らなくてもいいからね。遅れるなら看護室に遅れると電話を入れればいいからね。慌てて事故にあったらそれこそ大変だからね」と気遣ってくれた。外泊許可証の主治医からのコメントに「気をつけて行ってきて下さい」と書いてあり、主治医の人柄がますます好きになった。
午前中、13日ぶりに自宅に戻った。自宅にいると病院での出来事が夢のような気分。でもお風呂でなくなった乳房を見て、現実だと思い知った。これが夢ならどんなにいいか・・・

     4月30日(月)外泊
本屋に行って「更年期障害」の本を買った。精神面と食事のバランスとかが載っていて、参考になりそう。

     5月 1日(火)病院に戻る
午後から中学の参観会に行った。50分授業で2人のクラスに行ったけれど、立っているだけで疲れた。
病院に向かう車の中で病院に戻るのがすごく嫌になった。入院するときよりずっと気が重い。2泊も自宅で過ごしたら里心がついたみたい。でも、ここで治療をやめるわけにはいかないし、前へ進むのみ!!予定通り3時に病院へ着いた。
4時頃主治医が様子を診に来てくれ、少し溜まってきているけれど、明日の診察の時でいいという事だった。
明日手術なので、夕食は重湯と聞いていたのに、開院記念日のお祝いの食事が来た。看護室に確認したところ、食べていいと言うので、赤飯やお饅頭のついた夕食を全部食べた。

     5月 2日(水)卵巣手術
朝の診察の時、溜まった体液を抜く。注射器で2本半くらいあったので、抜いてもらってすっきり。退院後の車の運転について質問。運転できないことはないけれど、自信がないうちはやめたほうがいい。1ヶ月くらいは控えた方がいい。万が一事故などにあったとき落ち込みが激しくなるし、よくないとのこと。
9時30分から卵巣摘出手術。おなかに3箇所穴を開け、腹腔鏡を使って卵巣を摘出する。
今回も歩いて手術室へ。何もわからなかった前回よりすごく緊張した。手術台の上に上がったら、すごくドキドキした。予定通りの手術で、11時頃終了。夫と妹がいて、手術したDrから説明を受けた。
夕方、回復室へ主治医が「まほろばさん、お疲れさまー」と様子を見に来てくれた。
午前中から寝ているので、腰が痛くなってきた。それにずっと血圧計と心電図モニターをつけているので、疲れた。乳癌の手術の時のようなクリティカルパスがないので、術後の様子がさっぱりわからず、不安だった。時計もないので時間もわからず、長い長い時間だった。

     5月3日(木)
回復室が急患でバタバタしていて、眠れず、今朝は寝不足で頭が痛かった。ベッドの上で、レントゲンを撮った。導尿管を抜いてもらい、トイレに行ったら病室の戻れると聞いていたので、出たくはなかったけれど、「トイレ行くー」と言ってナースに付いて来てもらって、その間にベッドを病室に移動してもらった。じきに主治医が来て「夜、ここで寝た?」と聞かれ「今戻ったところ」と返事をした。それから1時間くらい寝た。昨夜の回復室よりずっと静かでよく寝られた。午後頭痛で氷枕をもらう。下腹が痛くて、本を読んだりテレビを見たりする気力がなく、ひたすら寝ていた。夜は痛み止めをもらい、飲んで寝た。

     5月4日(金)
朝の診察。体液の溜まりもなく、乳癌の傷も順調に回復している。頭痛薬について聞いてみた。投薬中も短期に飲む薬ならOK。病院でもらう頭痛薬よりも市販の頭痛薬のほうが軽いので大丈夫ということで、頭が痛い時はバッファリンが飲めるので、安心した。
昨日からの頭痛は麻酔の影響ではないかと言っていた。
今日も朝から頭痛がして、朝一番に痛み止めをもらって飲んだ。傷口も痛いし、乳癌の手術より辛い。寝てばかりいるので腰も痛くなるし、起きていると頭が痛く、今日も好きな活字を読む気力はない。入院疲れもあるかな~?

     5月5日(土)
朝、ナースに「明日退院ですね」と言われ、主治医に確認しようとずっと待っていたが、結局今日はお休みでした。私が入院してから初めての休みでした。でも「退院許可は出ているから大丈夫よ」とナースが言ったので、大丈夫なんだろう。

     5月6日(日)退院
胸の傷は治りもいいけれど、安心のためにとまたテープを貼ってくれた。お腹の傷は別のDrがテープ貼り替えながら、抜糸まではシャワーのみと言われたが、主治医はお風呂に入れるようにと厚いテープに貼り替えてくれた。できるだけ普段の生活に戻れるようにと気を配ってくれる主治医に感謝!!「私はこんなの着けるの、好きじゃないのよね」と言いながら診察の後、腕にしていたネームバンドを切ってくれた。
20日間の入院生活。2回の手術で体は大変だったけれど、病室の人にも恵まれ、がんばることができた。いろいろな病気の人に出会い、医学の進歩で癌も治る時代なんだな~と感じている。乳癌に負けないぞ!!と決意して、退院した。


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